不倫されシングルマザーになったのに幸せです♡

サレ妻が離婚してから立ち上がる方法

わたしの3.11

8年前の東日本大震災で大勢の方が亡くなられたこと

まずはご冥福をお祈りさせていただきます。

 

今日職場でその時間を迎えたのですが、雨上がりだったからなのか

大きな虹が空にかかったのを、おじいちゃんおばあちゃんと一緒に見ていました。

とてもきれいで、忙しい仕事中にふと心が和む時間でした。

 

8年前の今日

わたしはまだ結婚して2年目の頃でした。

その日はダンナとわたし、休日で一緒にメガドンキでお買い物をしていました。

 

実は地震の直前まで、他愛のない内容の口喧嘩をしていて・・・

言うのも恥ずかしいけど、確かわたしがダンナの女の子の話に嫉妬して

いじけて、小競り合いしていました。

新婚時代から女性関係で、振り回され、結局それで離婚しちゃったな😅

 

ぐらっときたとき、ドンキって狭い店内に物が山積みでしたよね?

それで危険を感じて、慌てて外に飛び出しました。

店の外に出ると、片側2車線の道路の車はみんな停車していたのですが

目の前の大型トラックが、信じられないほど縦に揺れていたのが忘れられません。

わたしの住む場所は震度5弱でした。5弱であんなに強い揺れでしたから

震源地近くの方は外にどれだけ恐ろしかったか・・・

 

父がひとりで暮らす場所はより東北寄りでしたので、心配で電話するも

あの時多くの人が経験したと思いますが、なかなか連絡がつかなかったです。

無事を確認するまで、気が気じゃありませんでしたが、

その後無事が確認できました。

 

当時ダンナのお義母さんと義弟と同居していて、急いで家に帰ると

ふたりとも家にいて無事でしたが、パニックになった姑が

キーキー騒いでいて、その時も何故ふたりで出かけていたのだと

責められました・・・義弟が家にいてくれて、まだよかった。

 

そしてもうひとり、わたしが無事を確認したい大切なひとが仙台にいたのです。

高校時代の友だち以上恋人未満どまりで(昭和の言い回し!)

わたしの苦しい闘病生活を支えてくれた彼です。

 

わたしは大学受験のタイミングで、脳内出血で倒れ

倒れた当日、その彼と同じ大学の試験を一緒に受験しに行っていました。

バイバイと別れて、家に帰ったその日の夜倒れました。

試験が想像以上に出来なくて、彼と一緒に大学行けない、と

その精神的ショックも倒れる引き金になったかもしれません。

 

結局彼もわたしもその大学は不合格・・・

わたしは入院、彼はもう少し北の大学に合格し離れ離れになることになりました。

大学生になるまでの春休みの間、彼はしょっちゅう病院にきてくれました。

 

入院、手術直後だったのでわたしの頭は丸坊主・・・

右半身は全く動かず、車椅子でした。

 

長渕剛様

 

彼は元々、アコースティックギターにハーモニカをくわえ

駅前で長渕のコピーをして歌っていました。

その影響で、わたしも長渕剛様が大好きになっていました。

だから、坊主頭のわたしにバンダナをまいてくれました。

当時長渕剛様、よくバンダナされていました!

 

そしてリハビリ室で、彼のライブが始まると、

看護師さんやリハビリの先生、リハビリの仲間たちが集まってきて

わたしはもちろん、みんなを励ますような歌をいっぱい聞かせてくれました。

 

長渕剛様の歌詞の中には、本当に心に響く言葉がいくつもあって

中でもわたしが好きなのは・・・

 

しあわせは なるものじゃなく 感じるものだ  (Captain of the Ship)

 

この歌聞いてから、ずっとそうやって生きてきました!

 

あと好きな曲は・・・12色のクレパス

           My self

                               俺らの家まで

           愛しているのに

                                 素顔   

 

書ききれませんが、長渕剛様の歌というか・・・

わたしにとっては彼の歌といっちゃいますが、苦しい時代にすごく救われました。

この頃のわたしにとって、神でした!

 

最近、ずーっと聞いていませんでしたが聞きたくなりました!

 

 
 

 

東京ドームに彼とわたしの弟と、ライブ見にいったな~最高でした。

 

話がさかのぼりすぎましたが・・・その彼が、仙台にいるのです。

お互い結婚してからも、年賀状のやりとりだけは続いていました。

地震直後は混乱していますし、怖くて電話できませんでした。

3日後、電話がつながり彼と家族が無事だったことを確認しました。ほっとしました。

 

彼とは、今現在もたまにラインをしています!

友だち以上恋人未満継続中です(懐かしい言い方)

 

地震後の計画停電

わたしの暮らす地域でも、ありました。

夜間に計画停電があると、それこそ真っ暗・・・

電気のない生活は不便でしたが、当時は被災者でないわたしたちができる

唯一のことと思っていましたので、たいしたことではありませんでした。

こうして日本中でいろいろな形で、助け合っていたのだと思います。

 

日本という国は本当に災害が多いと、改めて思います。

今ある日常は、当たり前ではないと・・・

普段忘れていることを思い出させてくれます。

そう考えると、自分のこの離婚までの出来事なんて、大したことないです。

慣れない環境と慣れない仕事で、少し鬱々しそうでしたが

これくらいで負けていられないと思います。

気合を入れ直して、また明日からがんばります!