わたし、ファザコンですか?
1年半の別居生活のこと
前に少し触れましたが、わたし離婚になる前元ダンナと別居していた時期があります。
その時も今いる父の所で暮らしていました。娘がまだ1歳半くらいの頃です。
その別居の1年半、こちらで託児所付きの会社で働いていました。
こう書いてみると、もうだいぶ前から離婚の兆候はありすぎるほどあったのです💦
この別居の原因は、当時同居していた義母とのいわゆる「嫁姑問題」でした。
もともと、父の田舎暮らしが始まるときわたし、まだ独身で
父と一緒に暮らすつもりで、その家探しも一緒にした歴史もありました。
ゴールデンウイークもお盆休みも年末年始もだいたい、
父の所はへ遊びに来ていたので、
今住んでいる所の土地勘はそれなりに出来ていました。
それが功を奏し? 今回、職探しにも子どもの保育園探しにも役立ちました。
まだ離婚確定していない10月ごろから、早々動き出し
市役所に事情を説明し、保育園の申し込みなど色々便宜を図ってもらいました。
この先回りが、もしかしたら元ダンナを追い詰めていったのかもしれませんが
わたしはわたしで、広範囲に保険をかけるように、
どっちに転んでも大丈夫なよう必死だったのです。
新しい生活に向けて動き出した時点で、自分の中で
もう離婚の決断が出来ていたのかも。
こちらでの生活環境の型枠が、わたしの離婚に対する壁を低くしていました。
思い描いたら実現するものだと、誰かが言っていたけど、その通りです。
結婚前に父と家探しした時から、わたしがここで暮らすことは
決まっていたのかもしれません。
その時期が、結婚出産を経て10年遠回りして今になっただけかもしれません。
父親とのこと
もうひとつ・・・おいおい書いていきますがわたしの父・・・
だいぶ破天荒な人で😅その破天荒さは子ども時代から今も
見ていて飽きないというか・・・行動力にもつながり
いつしかそれは自分の理想の男性像にもなっていました。
女の子がよく言う、「お父さんと結婚する」が・・・
永遠に続いちゃってるパターンです。
一般的に、自分の父親に似た人を結婚相手に選ぶって言いますよね?
結局男はマザコンが多いし、女はファザコンが多いのではないでしょうか(;^_^A
なかなか父親以上に面白い男性に出会えないな、と常に比べてしまっていたのです。
これって、男性からするとキツイですよね💦
逆にわたしも、お相手がお母様のことををそんな風に思ってたら・・・
マザコン男め~って😤 言うでしょうからね💦勝手なものです😅
そもそも田舎暮らしを実現した時点で、自分の夢を叶えてすごいと思うし
その生活も毎日が、自分の好きなことやりたいことだけやって生きています。
1年の半分くらいは木こり、昭和生まれは分かると思うけど、与作、です。
空を飛びたかった夢はパラグライダーという趣味になりました。
薪ストーブの火を眺めながら、ウイスキー片手にロッキングチェアとか
男のロマン、大好きな工具類を集めた、夢の作業部屋を建て
年に何度か入る仕事をその工房から出荷。
手作りの石窯でローストチキンを焼き、子ども、孫たちに振舞う。
相棒の犬と車中泊の旅をして、温泉三昧。
石窯 工房
よくわからない趣味の世界
工具類
こういう道楽、多分やっているのが「夫」だと黙っていられないのでしょうね・・・
それが「父」だと・・・男のロマン!!って言えてしまう(^▽^;)
勝手なもんですね、わたしという女・・・
だけど母がガンで亡くなるまで、こんなにも父親との関係が密接になるとは
思わなかった。結局、結婚生活は10年にも満たなかったので
一番長く一緒に居るのは父であり、それが継続中なので・・・
父親という時点で縁は深いのだろうけど、わたしの人生の中で父親とは
切っても切れない結びつきがあるのだろう、と思う。絆が強すぎる・・・
距離が近いゆえに、当たり前だけど衝突もたくさんしてきた。
一緒に暮らせば、ちょっとしたことに腹が立ったり、暴言を吐き合うこともある。
それでもなんだかんだ一緒にいられるのは、やっぱり縁なのでしょう。
父の所でずっと一緒に暮らせばいいじゃない、と言われるのだけど
父との関係を保っていたいから、ある程度の距離も必要かなと思う。
だから市営住宅に申し込んだのです。車で10分、スープの冷めない距離😁
人間関係はつくづく、距離感だというのがわたしの持論です!
今後お互いに年を重ねていけば、この関係も形を変えていくのでしょうけど。
今はこんな、わたしたちの田舎暮らしです。
不倫されシングルマザーになったけど、幸せといえるのは確実に
父のおかげです。返しきれない恩をこれから返していきます!